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石田 奈帆美
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イギリス滞在記(1)~個性の主張について思ったこと~


2016年10月3日

イギリス滞在記(1)~個性の主張について思ったこと~
歴史ある古い建物。緑が豊かな街並み。これまでアフリカやアジアなど途上国での滞在・訪問経験が多かったため、10年振りの欧州長期滞在ではロンドンの街並みに魅了されっぱなしでした。この世界主要都市ロンドンで感じた「個性の主張」について、書きたいと思います。

移民だらけのイギリスと、移民ほぼ皆無の日本

まず最初に感じたのが、アフリカ系と中東系の人々の多さ。移民の多いイギリスですが、地理的な優位性や歴史的・社会的背景から、この二つの地域からの人々が圧倒的に多かったです。アジア人はほとんど見かけず、欧州以外の外国人の中では一割ほどという感覚でした。

アジア人が少ないとはいえ、多種な人種がミックスされていることに違いはありません。こうした都市では多様であることが当たり前です。違うことが普通です。肌の色も、言葉も、ファッションも、髪型も、皆んな違うのです。肌の真っ黒な男性がビシッとスーツを着ていたり、目以外はヒシャブで覆われた女性がいたり、眉間に鮮やかな色で丸い点をつける女性がいたり。人々の様相は様々です。

一方、日本について考えてみると。単一民族から成り、移民は積極的に受け入れず、出る杭は打たれる社会であるこの国では、同じであることがベース。以心伝心という言葉がある様に、外側の様相だけでなく、思想や価値観までもが同じであるとされている社会です。

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同一性社会が生み出すもの

こうした社会構成の違いを見て思ったことの一つは、「個性の主張は日本の単一社会が生み出した現象」だということ。普通に過ごしていれば皆んなと同じです。特別なことをしない限り、同じ肌の色、同じ言葉、同じ価値観です。そうなると、普通でありたくない、自分らしくありたい、そのように思う人々は、人と何か違うことをする傾向があると思います。それは過度なファッションだったり、極端な行動だったり。学校という場は、違う何かを見るにはわかりやすいと思います。このように皆んなが同じである社会は、日本人、若者、〇〇社の人達、〇〇部署の人々など、大きなくくりで形容することは容易ですが、各個人のアイデンティティーを確立することは難しいのだろうと思います。

また、極端な行動に走らなくとも、自分らしさを表現するために何かを「誇示」することが多いとも思います。例えばファッションやメイク。若い女性を見ていると、オシャレして可愛くメイクして、ときらびやかさを感じるのですが、私は違和感の方を強く感じます。なぜなら、一見奇抜さはないのですが、「頑張っている」何かを感じるからです。いかに自分が流行りのファッション、メイク、ヘアスタイルを取り入れているか、それを他人に見せるために過度な誇示があるように感じるのです。私は逆にその人らしさが奪われ、自然らしさを感じません。違和感として感じられます。

個性とは主張するものなのか

しかし、自分らしくある為に何かを誇示する必要があるのでしょうか?個性を主張する必要があるのでしょうか?
私がロンドンの人々を見て思ったことは、「素朴」や「シンプル」。それぞれがイイと思うことを、それぞれがただしているということ。季節柄も相まってか、落ち着いた色を着ている人が多かったです。高価な物を身につけている人は少なく、通勤していそうな人でブランドバッグを持っている人は見かけませんでした。靴も決して高くないであろう物を履いてる人が多かったです。メイクも様々で、今の日本のように皆一様にまっすぐ眉毛の光景などもちろん見かけません。自分がしたいことを他人に誇示するのではなく、ただ自分のためにする。そんな印象でした。

皆んな違うことが当たり前な社会を見て、個性は主張するものではなく、元々あるものだと思いました。社会や周囲の価値観に惑わされるのではなく、普通とは違う何かをするのでもなく、自分らしくいようとするのでもなく、ただ自分であること。個性とは、「他人に誇示する」何かではなく、ただ自分に備わっている「自然らしさ」ではないかと思った、そんなロンドン滞在でした。

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ロンドンでの長期滞在

石田 奈帆美
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