世界ガイド
世界ガイド編集部
世界ガイド編集部

ホームページ

「ダマスカスからミュンヘンへ」シリア人姉弟の絶望、冒険、再生への90日(2)


2015年10月23日

「ダマスカスからミュンヘンへ」シリア人姉弟の絶望、冒険、再生への90日(2)
ミュンヘン在住のフランツさとみさんが、ドイツにたどりついたシリア難民姉弟とのインタビューに成功しました! 今回はそのレポート2回目です。
(承前)
ダマスカス出身の姉ラナ(仮名・25才)と弟ラミ(仮名・18才)は、収束の気配すら見えず5年目に突入した内戦下で、「シリアには未来がない」と今年の夏、ドイツに向かうことを決断した。7月にシリアを脱出、トルコを経て、ギリシャの北エーゲ地方にあるミティリーニという街に漂着した-ー。
「ダマスカスからミュンヘンへ」シリア人姉弟の絶望、冒険、再生への90日(1)

ギリシャからマケドニア経由でハンガリーへ

ミティリーニを出発しギリシャとマケドニア国境近くの小さな村までバスで到着すると、そこから3時間歩いてマケドニアに入った。居合わせたマケドニア軍がバスでセルビアとの国境まで移送した。再び歩いて越境し、バスを見つけてハンガリーを目前とした町までやってきたところマフィアに遭遇した。「ハンガリーへ入国したければ250ユーロ払え」と要求されたが、間一髪で逃げ切ることができ、そのまま歩いてハンガリー南部の街、セゲドに到着した。
セゲドで首都ブタペストまでの行き方を模索していたところ、一般のハンガリー市民が「1人700ユーロでブタペストまで車で連れて行ってあげるよ」と声をかけてきた。度重なる金銭の要求に辟易していたところ、その光景を見ていた警察官に姉弟は捕まった。

ハンガリーでは当局が拘留

連行されたのはセゲドにある拘置所だった。「私たちはドイツに行くために立ち寄っただけ。犯罪者なんかじゃない」惨めな気持ちになった。
拘置所には5日間拘留された。中には親切な官吏もいたが、怒鳴りちらし罵倒する者もいた。食事はサンドイッチや水を与えられた。
ある日「指紋を取ったらここから出られる。君たちは犯罪者ではなく難民だからね」と言われ、指紋を採取され、パスポートと身分証明書を取り上げられた。
ダブリン条約では、難民が最初に到着した欧州の条約加盟国が受け入れの責任を負うとされてきた。指紋を採取しデータベースに登録した国で生活することが義務付けられており、亡命は原則認められない。移住が許可されるのは、受け入れ国の環境が最低基準を下回る場合のみだ。しかし空前の規模の難民流入となり、欧州連合(EU)は国力に応じて各国に割り振る措置を初めて講じたのである。
世界ガイド
▲姉弟が収容されていたハンガリーの施設(ラナさん提供)

行きたい目的地はドイツ

ラナとラミの目的地はドイツだ。ドイツ以外の選択肢なんて最初からない。拘置所を出るとタクシーでブタペストに向かい、ブタペストで密航業者に1人500ユーロを支払い、トラックの荷台に乗ってドイツ南東部の町パッサウを目指した。今夏のヨーロッパは猛暑だった。炎天下の中を長時間荷台で揺られていたかと思うと、その過酷さは想像を絶する。オーストリアで放置されたトラックから多数のシリア難民の遺体が発見されたのは記憶に新しい。まさに死と隣り合わせのドライブだ。
幸い2人は無事にパッサウに到着し警察官に保護された。(続く)

難民問題

世界ガイド編集部
世界ガイド編集部

ホームページ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

  • メール

  • RSS