世界ガイド
世界ガイド編集部
世界ガイド編集部

ホームページ

「ダマスカスからミュンヘンへ」シリア人姉弟の絶望、冒険、再生への90日(1)


2015年10月19日

「ダマスカスからミュンヘンへ」シリア人姉弟の絶望、冒険、再生への90日(1)
ミュンヘン在住のフランツさとみさんが、ドイツにたどりついたシリア難民姉弟とのインタビューに成功しました! 今回はそのレポート1回目です。
ドイツの難民受け入れは、今年末までに150万人に達する見込みである。予想を大きく上回る流入に人々の不安は広がりメルケル首相の支持率も低下しているが、紛争地で迫害を受けた人々を庇護するという方針は揺るぎのないものだ。
このような中、ミュンヘン市内に建てられた難民施収容施設に暮らすシリア人姉弟に話を聞くことができた。

「シリアには未来がない」

ダマスカス出身の姉ラナ(仮名・25才)と弟ラミ(仮名・18才)は、収束の気配すら見えず5年目に突入した内戦下で、「シリアには未来がない」と今年の夏ドイツに向かうことを決断した。
内戦が勃発する前の一家の暮らしは平和だった。高校で英語の教鞭をとる父、大学教授の母、大学の薬学部に通う兄の5人家族。父親の指導の賜物であろう、姉弟は流暢な英語を話す。ラナは大学で建築を学び、ラミは高校に通っていた。
しかし、シリア国軍と反体制派の武力衝突を機に状況は一変した。暴力の連鎖はエスカレートしていき、街は破壊され瓦礫の山と化した。
反体制運動に関わっていた父親は投獄され、壮絶な拷問の末に獄中死を遂げた。兄も投獄されているが生死については全くわからないと言う。
このままダマスカスに留まることは危険極まりないため、遠くの村に避難した。父親の死、安否不明の兄、崩壊した自宅、断念した勉強、「全てを失った」と姉弟は言った。

ドイツ行きの資金は「有り金全部」

一家が持っていた全ての貯金と母親が身に着けていた貴金属を売って、ドイツ行きの資金を工面した。
2015年7月15日、2人はまずバスでレバノンに向かった。レバノンからトルコまでは空路、トルコからギリシャへはゴムボートで海を渡った。ゴムボートに乗るために密航業者に支払った金額は1人1,000ユーロ。簡素で小さいこのボートに40人近くが乗り込んだ。恐怖で泣き叫ぶ女性や子供がいた。しかしラナはこう言い切った。「私は全く怖くなかったわ。だってシリアでもっと恐ろしい光景を見てきたもの」。一番大事なスマートフォンとパスポートは、濡れないようにビニール袋を幾重にも重ね服の中にしまった。

越境に欠かせない「スマホ」

難民がスマホを持っていることに否定的な人がいるが、越境にスマホは欠かせないと彼らは話す。ヨーロッパを目指す人々のグループがFacebook上に出来ており、そこで彼らは様々な情報を交換し、GPSで旅のルートが正しいかどうか確認作業を行っているのだ。

そしてギリシャに到着……

ゴムボートに揺られて5時間ほど経つと、眼前にギリシャが現れた。すぐにギリシャ海軍によって発見され、北エーゲ地方のミティリーニに漂着した。「無事ヨーロッパに着いた」安堵の気持ちでいっぱいだった。
到着後政府関係の事務所に連れていかれ、マケドニア国境近くまで移動するために1人50ユーロを支払った。出発までの数日間は海の近くにテントを張って寝泊まりした。
ギリシャの日差しは強烈だ。ラナの顔は日焼けで真っ赤に腫れ上がってしまった。(つづく)
世界ガイド
▲ギリシャではこんな場所で寝泊まりしていた(ラナさん提供)▲
↓ 続きはこちら!
「ダマスカスからミュンヘンへ」シリア人姉弟の絶望、冒険、再生への90日(2)

難民問題

世界ガイド編集部
世界ガイド編集部

ホームページ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

  • メール

  • RSS