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台湾に残る日本の痕跡「林森公園の二つの鳥居」


2016年3月27日

台湾に残る日本の痕跡「林森公園の二つの鳥居」
台北の街の真ん中にある公園に、忽然と日本風の鳥居が立っています。それはなぜなのでしょうか?
台北の地下鉄淡水信義線中山駅から徒歩3分。台北市内の林森公園の中に二つの鳥居があります。
市のど真ん中に位置するこの公園に、あまりにも堂々と立つ姿は、日本人が知らないでここを訪れたら多分不思議な気持ちになるのではないでしょうか。

台北の人々の生活に溶け込む日本の象徴

大と小の鳥居が二つ、大きなガジュマルの木の下に立っています。
ふらりとここを訪れると、ガジュマルの木の下では散歩途中のお年寄りや太極拳をしている人々、犬の散歩、ベンチに座って本を読んでいる方々を見かけます。この場所は市民の憩いの場のシンボルのようになってるようですね。その光景を鳥居が見守っているようにみえます。近寄ってみると小さな鳥居の柱の根元には「昭和十年十月、有志建之」、と文字が彫られています。これも台湾に残された日本の痕跡の一部。この林森公園はもともと神社だったのでしょうか。

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▲御神木のような大きなガジュマルの木の下に鳥居は立つ▲

50年もの間歴史の中に埋もれ、そして台湾人の手で救い出された

実は日本統治時代、この場所は日本人墓地でした。第七代台湾総督を務めた明石元二郎は、遺言により台湾のこの地に埋葬されました。そのお墓にこの鳥居が建てられていたそうです。小さい方の鳥居は明石台湾総督の秘書を務めた鎌田正威の墓に建てられた鳥居だとされています。戦後この日本人墓地には大陸から移動してきた国民党兵士などが住み着き、次々とバラックが建てられ、鳥居はだんだんと埋もれていきました。1997年、公園として整備される事になり、乱立した違法住居が撤去された時にこの鳥居が発掘されたのです。なんと50年もの長い年月、人々から忘れ去られていました。発掘された鳥居は当初二二八公園に移されましたが、2010年に元のこの場所に帰って来たのです。

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▲「昭和十年十月、有志建之」の文字が見える▲

台湾には日本に親しみを持っている方が多いとよく聞きます。この発掘された鳥居もそういった方々の努力により手厚く扱われたようです。
植民地を直接統治した総督のお墓の一部が、今もその土地の人々に守られているとは・・・。
この鳥居の先に見える台北の街並みを眺めながら、台湾の遠い昔に思いを馳せてみるのも、なかなかの旅の思い出になるのではないでしょうか。

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▲二つの鳥居についての案内板▲

台湾の懐日

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