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台湾に残る日本の痕跡「桃園神社」(2)


2015年12月23日

台湾に残る日本の痕跡「桃園神社」(2)
台北の国際空港の近くに、80年近く前に建てられた神社がいまも創建当時の姿で残っています。なぜこれまで壊されずにいたのでしょうか?

台湾で唯一、昭和13年創建当時の姿を今も保っている桃園神社

台北駅から急行電車で約40分。桃園市にある桃園神社跡は台湾で唯一、77年前の姿が残る貴重な神社跡です。
ほとんどの神社は戦後、日本の文化的建造物が残っているのが台湾の新しい支配者にとって都合が悪いということで破壊されていったのです。

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▲笠木だけ失った鳥居

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▲社務所跡

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▲拝殿にあった格子状の窓枠に古き日本の面影を感じた

日本の象徴的建造物の破壊命令

戦後から27年が経った1972年、日本と中華人民共和国との間に「日中平和友好条約」が結ばれました。これはアメリカにならって日本が中華人民共和国を正式な中国として認めたかたちになったので、連合国の一員だった中華民国、蔣介石を怒らせてしまったのでしょう。
そして国連を脱退し、1952年に日本と結んでいた「日華平和条約」も破棄して、日本との国交を断ちました。その時正式に「日本文化の象徴的建造物の破壊」という法令を発し、日本が台湾を統治していた50年の間に建てた台湾中の神社は、次々と破壊されていったのです。
現在40,50歳代の台湾人は反日教育を受けて育ったと聞きますが、このときから日本に反感を覚えていったのではないかと私は思います(大陸時代のころから抗日活動はしていましたが)。
そもそも蔣介石は、日本の軍に留学していて多くの日本の軍人たちとも交流が深かったようで、戦後も「白団」として日本の元軍人が中華民国の国軍の再建に尽くしたことは知られています。
戦後の日本と中華民国は共に歩んで行けたかもしれないのに残念ですね。

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▲社務所の裏側の窓から中を覗くと、完璧な和室がうかがえる

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▲軍馬の慰霊碑。桜のマークの跡がある

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▲皇室の菊の御紋の跡がそのままだ

なぜ、ここだけ破壊を逃れたのか

「日本文化の象徴的建造物の破壊」の法令が出されたとき、桃園神社にはすでに中華民国として亡くなられた方々が祀られていて、それを壊すのは如何なものかとか、建造物として歴史的価値を主張する者や、地元住民の猛反対があったのです。1985年にはコンクリート製の中華式廟に建て替える案が浮上しましたが、これもまた地元住民の猛反対から中止。
その後なぜか強引に建て替える事はせず、住民たちに配慮する形で日本円で3千万円ほどかけて神社を修復し、国家三級古跡に認定しました。今では観光地にもなっているようで、桃園市のWEBページにも詳細に紹介されていて、日本語のパンフレットまであり、日本人向けに“神社”として紹介されています。
桃園の地元の方々が神社を守ってくれたのです・・・。地元住民たちは国民党の圧政にもかかわらず、日本統治時代を生き、日本の文化、生活に馴染んでくださった“本省人”の方々だという事はいうまでもありません。

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▲賽銭箱。その奥の部屋には中華民国に尽くして亡くなった方々の木簡が並ぶ

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▲昭和初期の雰囲気抜群の男子トイレ。何度来てもここのトイレは掃除が行き届いているようでキレイだ

桃園神社の楽しみ方

神社めぐりが好きで、御朱印集めをされている方もいらっしゃると思います。もちろん、ここ桃園神社は今は日本の正式な神社であるはずがありません。
もう八百万の神も神主さんもいません。
しかし社務所の建物に行くと、大きなスタンプが置いてあります。このスタンプを御朱印帳に押してみるのもいいかもしれません。とはいえ、私自身はまだ日本の他の神社の御朱印と一緒にこのスタンプを押す勇気がなく、実行していませんが・・・。

台湾と日本の関係はなかなか複雑にみえますが、この辺がわかると台湾を訪れる際また違った目線で楽しめるのではないかと思います。今の台湾があるのは、決して日本人に関係のないことではないのです。

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▲桃園神社のパンフレット

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▲社務所跡に置いてある桃園神社のスタンプ
台湾に残る日本の痕跡「桃園神社」(1)

旧日本の痕跡 台湾

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