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台湾に残る日本の痕跡「桃園神社」(1)


2015年11月24日

台湾に残る日本の痕跡「桃園神社」(1)
台北駅から急行電車で約40分。桃園市にある桃園神社跡は台湾で唯一、70年前の姿が残る貴重な神社跡です。
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▲桃園神社、いや、今は桃園忠列祠入り口
「桃園神社」は、2009年に私が初めて台湾を訪れた際にどうしても行きたかった場所なのです。仕事を済ませ、台湾を去る日の午前中、私は台北駅から電車に飛び乗り、電車に揺られること40分ほどで桃園駅到着。台湾事情にまだ慣れておらず、タクシーを使うのも億劫だったので、駅から一時間ほどかけて歩く事にしました。
大きな通り沿いにあったので、迷うことなく到着。まず目に入ったのが、神社がある小高い山のふもとの階段下に見える「桃園忠烈祠」の石柱。そうです、桃園神社跡は現在は「桃園忠列祠」と呼ばれていて中華民国(及び台湾)に尽くして亡くなられた方々を祀る政府の施設になっているのです。台湾の靖国神社のような場所です。
その石柱の側に「奉獻」と書かれた石があり、その裏を覗くと「昭和十三年九月吉日」の文字が彫ってありました。日本が海外に残した遺跡に、私が触れた初めての瞬間でした。それはなんとも言い難い、いい意味でショッキングな気持ちになりました……。
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▲階段を上がると突然視界が広がり、日本統治時代の台湾へタイムスリップしたかのよう
五十段以上はある長い階段を上がり切った瞬間、その思いはさらに膨れ上がり、まさに脳天に電撃が走り、雄たけびをあげたい衝動に駆られました。目の前が急に開け、そこには凛とした日本の神社の風景が広がっていたのです。
ここは異国台湾。参道に石灯籠が並び、その奥には大きな石の鳥居、またその奥に日本風の木造の建築物。
これは確かに神社だ……。周辺はたくさんの木々に囲まれていて、今もまだ日本の神様が鎮座しているかのような風景。おおお、涙が出そうだ……。

しかし、二つほど違和感を感じました。日本の風景には似つかわしくない、空高くそびえ立つ南国風の木が二本。南国の台湾ならではというか、なんだか微笑ましくなりますが、そしてもう一つ、鳥居の形が変です。一番上の笠木がありません。やはり完全な神社の形を残す訳にはいかず、鳥居だけはこうなってしまったのでしょうか。

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▲門から拝殿を望む
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▲神社本殿の建物         
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▲この手水舎は今も水が溢れている。向こう奥には社務所だった建物が

日本の太平洋戦争の敗戦により、日本は日清戦争の結果手に入れた台湾を去らねばならなくなりました。その後連合軍に代わって台湾に駐留したのが、日本の戦争相手だった中華民国国民党。そのまま台湾を手にする事になり、日本の面影を残す建築物はほとんど破壊されたと聞きます。
しかし、ここ桃園神社だけは奇跡的に木造の社殿などの建物が残され、今に至っています。桃園神社は現在台湾の「国家三級古跡」にまで指定され、桃園市民の皆さんに親しまれています。
私が訪れた時に、地元のカップルがこの神社を背景に結婚式の写真を撮影していたのですが、それは日本人としてなんとも奇妙な、複雑な気持ちにさせられました。
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▲結婚式の写真撮影をする地元の台湾人
現在、台湾では日本統治時代に建てられた日本の建築物などが見直され、次々と復元されています。それらはレストランやカフェなどに生まれ変わり、台湾南部では住民の強い要望で今年、神社まで再建されています。
過去日本に征服された台湾人にとって日本って何だろう……。私の興味はますます深くなっていくばかりです。ここ桃園神社は台湾の中で、過去の日本文化の遺物の最も象徴的な場所である事は間違いないでしょう。
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▲石灯籠が並ぶ                   
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▲社務所の脇に見つけた昭和13年9月の石柱

台湾 旧日本の痕跡

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