台湾に残る日本の痕跡「かき氷」(2)
2015年9月23日
日本統治時代の名残りかもしれない台湾の「かき氷」、今回はそのルーツを考察してみます。
前回、台湾のかき氷を紹介しましたが、今回はそのルーツについて考察してみましょう。
もともと歴史好きな私は建築物、食、文化、習慣など、台湾にかつての日本統治時代の名残があちこちに残っている事に、大きな衝撃と感動を覚えました。かき氷も日本統治時代に日本人がよく味わっていて、そのまま戦後の台湾に受け継がれていったものなのかもしれません。
江戸時代、加賀藩は将軍様に献上するため、夏場は金沢から天然氷を運んでいて、飛脚による流通システムにより氷はわずか5日で江戸まで運ばれ、最初は60キロの塊だったのが江戸に着く頃にはわずか500グラムほどの大きさになっていたらしいです。
幕府に忠誠を示す為に行っていた「お氷様」と呼ばれる夏の恒例行事だったのです。(NHKタイムスクープハンター「お氷様はかくして運ばれた」 による)
▲日本の代表的なスタイルのメロン味のかき氷▲
▲昔ながらの氷しるこ。(豪徳寺 おじか)▲
台湾はほぼ熱帯気候に属し、冬場でも氷が出来るほどの気温にはまずなりません。日本にはそれなりの地理的条件と理由があったわけですが、かき氷が台湾で普及したのは日本統治時代ではないかと思うのです。
同じく高度な文明が花開いていた中国でも親しまれていた事は間違いないのでは?
しかしそれはおそらく大衆の間までには浸透はしていなかったでしょう。
天然氷を輸送する事は大変な事で、かなりの貴重品であった事は疑う余地がありません。
1500年代、中世イタリアでは硝石を使った冷凍技術が発明されています。1600年代に約40年間オランダが台湾を植民地にしていましたが、その技術が台湾に持ち込まれていたとしてもその後混乱が続く台湾で受け継がれていったのでしょうか?
しかし硝石は、湿度の多い熱帯地域では天然で採取できないのです。
日本では明治中期から後半になってようやく製氷機が現れ、氷が安定して手に入るようになり、大衆にも手の届く値段になって行ったようです。
一方、台北には1920年創業と謳っている「龍都氷果専業家」というかき氷屋さんがあります。日本統治真っ只中の創業ですね。どうやら統治時代には台湾人によるかき氷が存在していたようです。
戦後に生まれたお店としては1949年創業の「建中黑砂糖刨冰」があります。この店は日本統治時代、製糖工場に勤めていた創業者がそのときの経験を元に黒糖蜜を作り、戦後すぐに出店。この黒糖蜜のかき氷はとてもヒットし、台湾中に普及していったようです。この「建中黑砂糖刨冰」が、今に繋がる台湾でのかき氷の発祥といえるかもしれませんね。
日本では明治時代から、砂糖をかけたり、蜜やシロップをかけたかき氷があり、台湾での初期のかき氷では黒糖蜜をかけて食べたというのは、そうした日本のかき氷の背景があったのかもしれません。
豆類をのせた台湾かき氷もこの頃から親しまれていたと思われます。
▲台湾のかき氷屋さん・「冰館」▲
▲台湾の宇治金時?抹茶紅豆雪片▲
元々は大陸の福建省などでよく食べられていたそうです。
台湾に古くから住んでいた中華系の人々は明朝の滅亡後に移住した今の福建省あたりの出身者が多いようで、豆のかき氷は、そうした中華スイーツから影響を受けたものなのでしょうか?
日本の伝統的なお汁粉やぜんざいなど、明治時代にかき氷が現れたと同時にそれらをかき氷に入れる「氷しるこ」が早くも存在しています。
それが台湾へ渡り、台湾でのかき氷に中華伝統の豆スイーツを合体させるヒントであった可能性はあります。
そしてマンゴーかき氷で台湾中に名を馳せた「冰館」(現在「ICE MONSTER」)は1995年創業。フルーツ天国・台湾ならではの豪華なマンゴーの盛り付けに発展、その他のフルーツ盛りなども含め、日本のかき氷を飛び越え、台湾人ならではの発想で今のかき氷の姿に変貌を遂げました。
ちなみに台湾にはもともとマンゴーはなく、台湾を一時的に植民地にしていた期間に同じくオランダが植民地化していたインドネシアからマンゴーを持ち込んだとされています。
▲マンゴー天国台湾ならではのマンゴーカキ氷▲
いろいろな状況証拠的な事で考察してきましたが、なかなか興味深いですね。台湾かき氷のルーツに関してはまだ確たる結論に行き着きませんが、中華の伝統プラス日本の伝統が今の台湾のかき氷の姿で、さらにオランダも一枚噛んでいたという台湾をめぐる複雑な歴史的運命を感じてしまいました。それは戦争を繰り返してきた人類の罪の結果だったのか、また、台湾の文明の進化の過程の1ページと前向きに考えるべきなのでしょうか。
過ぎてしまった歴史の過程を良くも悪くもそれを決めるのは将来の台湾人であることは間違いありません。
台湾かき氷のルーツについて、もっと深く知りたくなってきました。次に台湾へ行くときにもっと深く調べてみたいと思います。
しかし、そんな堅苦しい事はさておき、台湾を訪れた際には、暑さも吹き飛ぶバリエーション豊かなふわふわかき氷を堪能してみてはいかがでしょうか。
台湾の暑い季節は日本より長く続きます。氷を見たら今も昔も誰でも口に入れたくなる! おいしくて幸せな気分になるのは間違いありません!
もともと歴史好きな私は建築物、食、文化、習慣など、台湾にかつての日本統治時代の名残があちこちに残っている事に、大きな衝撃と感動を覚えました。かき氷も日本統治時代に日本人がよく味わっていて、そのまま戦後の台湾に受け継がれていったものなのかもしれません。
日本のかき氷の歴史は?
日本でのかき氷の歴史は古く、「枕草子」の記述からも「削り氷」というのが確認されています。平安時代には氷室という氷を保存する蔵もすでにあり、「源氏物語」によると宮中では夏に氷水を召していたとか。江戸時代、加賀藩は将軍様に献上するため、夏場は金沢から天然氷を運んでいて、飛脚による流通システムにより氷はわずか5日で江戸まで運ばれ、最初は60キロの塊だったのが江戸に着く頃にはわずか500グラムほどの大きさになっていたらしいです。
幕府に忠誠を示す為に行っていた「お氷様」と呼ばれる夏の恒例行事だったのです。(NHKタイムスクープハンター「お氷様はかくして運ばれた」 による)
▲日本の代表的なスタイルのメロン味のかき氷▲
▲昔ながらの氷しるこ。(豪徳寺 おじか)▲
天然氷ができない台湾でなぜ「かき氷」が?
日本統治前、台湾は清国に属していましたが、島国ということもあって中央の北京は台湾の支配にほとんど関心がなかったらしく、島の中は清国の支配が及ばない原住民も住み、混沌としていました。台湾はほぼ熱帯気候に属し、冬場でも氷が出来るほどの気温にはまずなりません。日本にはそれなりの地理的条件と理由があったわけですが、かき氷が台湾で普及したのは日本統治時代ではないかと思うのです。
戦前の製氷機、台湾で現役!
そもそも氷菓子は世界を見ると古代ローマの時代には存在し、古くから文明の発達した場所では天然氷による氷菓子が親しまれていたようです。同じく高度な文明が花開いていた中国でも親しまれていた事は間違いないのでは?
しかしそれはおそらく大衆の間までには浸透はしていなかったでしょう。
天然氷を輸送する事は大変な事で、かなりの貴重品であった事は疑う余地がありません。
1500年代、中世イタリアでは硝石を使った冷凍技術が発明されています。1600年代に約40年間オランダが台湾を植民地にしていましたが、その技術が台湾に持ち込まれていたとしてもその後混乱が続く台湾で受け継がれていったのでしょうか?
しかし硝石は、湿度の多い熱帯地域では天然で採取できないのです。
日本では明治中期から後半になってようやく製氷機が現れ、氷が安定して手に入るようになり、大衆にも手の届く値段になって行ったようです。
日本統治時代からのかき氷屋さんも
興味深い事に台北市の隣の新北市に「冰果天堂」というかき氷屋さんがあり、80年前の日本製の製氷機をいまだに使って氷を作っています。その製氷機は1910年(明治43年)創業の長谷川鉄工所製で、これは氷を作る機械です。日本統治時代、台湾に人工で作る氷が存在していた事になります。日本の近代化した文明が入った事によって一年中気温の高い台湾でも、機械による製氷が可能になり、氷が身近になったわけですね。一方、台北には1920年創業と謳っている「龍都氷果専業家」というかき氷屋さんがあります。日本統治真っ只中の創業ですね。どうやら統治時代には台湾人によるかき氷が存在していたようです。
戦後に生まれたお店としては1949年創業の「建中黑砂糖刨冰」があります。この店は日本統治時代、製糖工場に勤めていた創業者がそのときの経験を元に黒糖蜜を作り、戦後すぐに出店。この黒糖蜜のかき氷はとてもヒットし、台湾中に普及していったようです。この「建中黑砂糖刨冰」が、今に繋がる台湾でのかき氷の発祥といえるかもしれませんね。
日本では明治時代から、砂糖をかけたり、蜜やシロップをかけたかき氷があり、台湾での初期のかき氷では黒糖蜜をかけて食べたというのは、そうした日本のかき氷の背景があったのかもしれません。
豆類をのせた台湾かき氷もこの頃から親しまれていたと思われます。
▲台湾のかき氷屋さん・「冰館」▲
▲台湾の宇治金時?抹茶紅豆雪片▲
香港にもある甘い豆類を使ったデザート
香港では豆類を甘くしたスープとか豆花(豆腐)に入れて食べるスイーツを見かけます。元々は大陸の福建省などでよく食べられていたそうです。
台湾に古くから住んでいた中華系の人々は明朝の滅亡後に移住した今の福建省あたりの出身者が多いようで、豆のかき氷は、そうした中華スイーツから影響を受けたものなのでしょうか?
日本の伝統的なお汁粉やぜんざいなど、明治時代にかき氷が現れたと同時にそれらをかき氷に入れる「氷しるこ」が早くも存在しています。
それが台湾へ渡り、台湾でのかき氷に中華伝統の豆スイーツを合体させるヒントであった可能性はあります。
フルーツ盛り合わせのかき氷
時は経ち、現在のふわふわかき氷の元祖として知られているのが、士林夜市にある1972年創業の「辛發亭」。この店のふわふわ加減は香港や中国でよく見かける中華的デコレーションではないでしょうか?これはもう日本のかき氷を超えています。そしてマンゴーかき氷で台湾中に名を馳せた「冰館」(現在「ICE MONSTER」)は1995年創業。フルーツ天国・台湾ならではの豪華なマンゴーの盛り付けに発展、その他のフルーツ盛りなども含め、日本のかき氷を飛び越え、台湾人ならではの発想で今のかき氷の姿に変貌を遂げました。
ちなみに台湾にはもともとマンゴーはなく、台湾を一時的に植民地にしていた期間に同じくオランダが植民地化していたインドネシアからマンゴーを持ち込んだとされています。
▲マンゴー天国台湾ならではのマンゴーカキ氷▲
いろいろな状況証拠的な事で考察してきましたが、なかなか興味深いですね。台湾かき氷のルーツに関してはまだ確たる結論に行き着きませんが、中華の伝統プラス日本の伝統が今の台湾のかき氷の姿で、さらにオランダも一枚噛んでいたという台湾をめぐる複雑な歴史的運命を感じてしまいました。それは戦争を繰り返してきた人類の罪の結果だったのか、また、台湾の文明の進化の過程の1ページと前向きに考えるべきなのでしょうか。
過ぎてしまった歴史の過程を良くも悪くもそれを決めるのは将来の台湾人であることは間違いありません。
台湾かき氷のルーツについて、もっと深く知りたくなってきました。次に台湾へ行くときにもっと深く調べてみたいと思います。
しかし、そんな堅苦しい事はさておき、台湾を訪れた際には、暑さも吹き飛ぶバリエーション豊かなふわふわかき氷を堪能してみてはいかがでしょうか。
台湾の暑い季節は日本より長く続きます。氷を見たら今も昔も誰でも口に入れたくなる! おいしくて幸せな気分になるのは間違いありません!
過去記事)
台湾に残る日本の痕跡「かき氷」(1)
台湾に残る日本の痕跡「かき氷」(1)