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台北北郊にある神社址を尋ねて=台湾に残る日本の痕跡「圓山水神社」(1)


2015年8月1日

台北北郊にある神社址を尋ねて=台湾に残る日本の痕跡「圓山水神社」(1)
台北北郊の山中にひっそりとたたずむ神社の跡。70年もの間、時間が止まっていたかのような空間が広がっています。
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圓山水神社の入口。立派な社号標が残る

終戦当時のままに残る神社

日本が敗戦して台湾を去った後、残された日本風の象徴的建造物は新しい台湾の支配者となった“中華民国国民党”の手によって多くが破壊されたと聞きます。しかし、中には難を逃れ、未だにその当時の姿を残しているものもあります。

今回紹介する圓山水神社もそのひとつ。日本の統治時代、台北の飲料水を確保するために出来た貯水池の守り神として建てられた神社です。MRT信義線の剣潭駅を降りて目の前にある「臺北自來水事業處 陽明管業分處」という水道局の敷地内にあります。この場所は台湾一大きなホテルとして知られる「圓山大飯店」の裏側の山の中に当たります。
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大通りにあった神社入り口の看板



水道局の脇にある山道の入り口には、「蜂、野犬、毒蛇注意」の警告板があって少し及び腰に!
勇気を出してジャングルのような山道をずんずん登ります。途中、リスが木を駆け回り、南国風の野鳥の鳴き声が聞こえてきます。
しばらくすると突然視界が開け、都会の中とは思えない草木が生い茂る大自然の風景が広がります。かつて人がここにいた事が伺える建物の瓦礫が点在し、それらは草木や苔に覆われています。
その姿はまさに遺跡。圓山水神社は、ひっそりと息をひそめるようにありました。神社に近づくとそこの周りだけ樹木が植えられ、道が綺麗に整備されています。まるで誰かがここを訪れるのを待っているかのようです。

圓山水神社と彫られている石柱が目に入りました。
その先には自然と一体となった小さな神社の風景がありました。本当にここは外国なのか……日本そのものの風景を前に、目を疑いたくなると同時に心の奥底からジーンと何か表現しがたい感覚がこみ上げてきました。
さらに驚かされたのは、社号標の裏に彫られた「昭和十三年四月二十七日」という文字。それだけではありません、狛犬も健在です。

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社号標の裏に彫られた「昭和十三年四月二十七日」の文字
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苔に覆われた瓦礫が点在する

階段を登ると、中華風に赤く塗られた4本の柱が立つ「亭(あずまや)」が台座の上に建てられていました。まさか拝殿が休憩所にされてしまったのかと一瞬不安がよぎりました。
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中華風の赤い柱の間に何かが見える

その上に何かが置いてありました。なんとそれは、日本の神棚などで見かける小型の「社(やしろ)」でした。しかもそんなに古いものではなく、定期的に手入れがされている気配があります。柱には青い幕が張られ、細い藁の縄、紙垂と〆の子(しめのこ)が飾られていました。
誰かがいまでもここを神社として管理しているのでしょうか。それとも台湾の人々が、日本人の代わりに日本の神様を祀っているのでしょうか?
ここは遺跡などではない、今も日本の神が宿り、信仰され、生きている神社だと直感しました。
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近づいてみると屋根に千木が付いてる立派な社が!
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お供えの「一番搾り」がニクい。地元の人々の手によって置かれたのか?

神社の由来もわかっているのですね……

神社の隣の休憩所に、簡単なこの場所の説明の張り紙がありました。「人口増に伴い、水不足を抱えていた台北市は、台北の北郊外に位置する陽明山からこの圓山まで水路を構築し貯水池を作った。その工事期間中に事故死した作業員の慰霊と水神を祭るために貯水池が完成した7年後の1938年(昭和13年)、ここに圓山水神社を建立した。1990年に荒れ果てていたこの神社址を台北の水事業関係者から寄付金を募って修復した」と中国語で書かれています。
灯籠の下の方には、この神社を建てるために奉納した水道課の日本人たちの名前も彫られています。
「1990年に修復された」ということは1987年に戒厳令が解除された直後、民主化の波に乗ってすぐの事ではないか? 興味深いですね。
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今も狛犬が神様を見守る

敗戦により、台湾を去った日本人の神社を今も台湾人が大事にしている……それは当時の日本人の大掛かりな浄水所建設に対する敬意の表れではないでしょうか。
日本人である私がそれを言うのはおこがましいかもしれません。
しかし台湾では台南に大きなダムを作り、農業水利事業に貢献した八田與一さんが今も愛されているといいます。台湾の人々によって大事に守られている日本式の神社、私が伝えたいのはそれに対して日本人も台湾人に対して敬意をあらわすべきではないかと。
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今もなお水が湧き出ていそうな手水舎、水の文字が印象的

日本の統治時代に建てられた建造物など、今は過去の遺跡となっている場所を訪れると意外な風景に出会います。歴史的背景とか政治的な事はわからなくても、きっと心に残る不思議な旅になることは間違いないでしょう。
「剣潭」駅下車後、中山北路を通り抜けて水道局陽明分所まで入り、左側の石段沿いに上がる。休日であれば、陽明分所の鉄門前左側の小道から上ることも可。小さな野菜畑を周って石段につながる。徒歩約10分。 (記述は、台北市政府観光伝播局資料より)

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