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原住民タイヤル族の住む温泉街・烏来=台湾に残る日本の痕跡


2015年7月20日

原住民タイヤル族の住む温泉街・烏来=台湾に残る日本の痕跡
台北から車で1時間半ほどにある烏来温泉。ここに意外な記念碑があるそうです……。

日本の風情あふれる温泉街

 台北から車で約1時間半。有名な温泉地「烏来(ウーライ)」。どこか懐かしい、見たことのある風景が目の前に広がります。土産物屋が並ぶ様子は、まさに日本の温泉街。「雲の湯」という日本名の温泉宿や日本流の「温泉マーク」まで見かけます。主要都市に必ずある「夜市」は、日本のお祭りの屋台や出店(でみせ)にも似た雰囲気がありますし、戦前の遺物となった神社の鳥居など、台湾はデジャブ感覚の場所が多いように感じます。
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まるで日本の温泉街

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日本名がついた温泉宿「雲の湯」

「烏来」とは原住民のことばで「温泉」

 台湾には何カ所もの温泉があり、烏来もそのひとつ。地名にもなっている烏来は、タイヤル族の言葉で「温泉」の意味です。ちなみに高砂族とは台湾原住民の総称であって、「烏来」はタイヤル族という原住民が住んでいます。
 烏来の街中を探索する暇も時間もなく、川で足だけ浸かりました。ここの渓谷には温泉水が上流から流れて来ています。とても熱いお湯が川になって流れているのはなんとも不思議な光景です。炭酸泉でお肌にも良いそうです。
 渓谷に囲まれた烏来の温泉は日本人にとって落ち着いて入浴を満喫できるのではないでしょうか? 台湾でその土地の文化になった「日本」を楽しむ・・・。こんな楽しみ方も出来る台湾って、奥が深そうです。
 ちなみに川沿いの露天には、無料で簡単な着替える場所もあるようです。写真の通り男女混浴なので、水着は必需品。川沿いには石で組まれた湯船が並び、日本統治時代に作られたタイル張りのアンティークな湯船も残されています。
 お湯はものすごく熱いので、浸かっているおじさんが体を冷やすために、川の真ん中あたりの冷たい場所を探して泳ぎ回ってたのが印象的でした。

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日本統治時代の湯船が残る

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山に囲まれた渓谷の露天風呂

烏来に残る「いわくの記念碑」

 さて烏来には、台湾の人々にもほとんど知られていない「高砂義勇隊戦没慰霊記念碑」があります。
 太平洋戦争末期、日本統治下の台湾で志願兵を募集したところ、何十万という応募があったそうです。なかでも高砂義勇隊は、台湾原住民系で編成された部隊でした。彼らはフィリピンやニューギニアのジャングルなど、原住民系の得意な環境下で能力を発揮し、日本兵からも頼られる存在だったといわれています。
 その高砂義勇隊の戦没者を慰霊するための碑が、烏来の山奥に2006年に移設されました。看板など見当たらないため、この碑を探すのはかなり大変で、さんざん山の中をさまよった挙句、瀑布公園の中にやっと見つけることができました。探し求めた高砂義勇隊の碑は一番上の高砂兵の像の部分だけが露出し、その下はなぜか板で周囲を囲まれた無残な姿でした。
 この碑は台湾独立派ともいえる民進党時代に建てられたのですが、私が訪れた2009年はすでに政権は国民党へ逆戻り。日本と戦った”中華民国国民党”としては、「敵国だった日本兵の一角を担っていた高砂義勇隊の碑」の存在について問題視せざるを得なかったようです。ただ、その後に「目隠しの板」も外され、誰もが参拝できるようになりました。
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忘れてはならない戦争の記憶だ。


 台湾の人々は戦後、日本から切り離された際に、日本国籍を失いました。新たな台湾で為政者となった中華民国の蒋介石の「日本への賠償請求の放棄」という方針によるのか、残念な事に義勇隊戦没者たちは日本政府からの戦後賠償を得ることは出来なかったようです。
 戦中に日本のために戦った彼らを思い、烏来に来たときは手を合わせに訪れてみてはいかがでしょうか。

烏来 温泉 台湾

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