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町中に大きな鳥居が=台湾に残る日本の痕跡「汐止神社址」


2015年7月8日

町中に大きな鳥居が=台湾に残る日本の痕跡「汐止神社址」
台北駅から各駅電車に揺られ約15分の汐止駅。台湾に来たはずなのに、電車の窓から見えた大きな鳥居にまるで初詣に来た様な……デジャブ??

駅前に建つ巨大な鳥居

 電車が駅に到着する間際、車窓からドカーンと大きな鳥居が見えて来ます。その圧倒するような存在感に私は感動を覚えました。駅を出てすぐ、大きな通りの向こう側。近づいてみると鳥居は予想以上に大きく、すぐ隣にある消防署の建物の2階部分をはるかに超えてます。
 私は以前、台湾で唯一建物まで破壊されずに残っている桃園神社を見てから、他にも神社の一部が台湾中に残されているという事を知り、台湾に来るたび探して歩くのが趣味のようになりました。桃園神社は、南国特有のジャングルのような静かな山の中に粛々と存在している感じでした。
ところが、汐止の鳥居は街の中心に大きく存在を示すように建っているところがポイントでしょうか。

灯篭には「皇紀」の年号が!

 大きな鳥居をくぐって参道を進むと、中華式の廟が見えてきました。神社跡をそのまま廟にしたんですね。神社の建物の痕跡が残っていたら、それはそれで奇跡ですけど。
と、よく見ると中華式かと思っていた石の灯篭に日本語らしき漢字が目に入りました。そこには「皇紀2600年」と刻まれているではありませんか!
 戦後の台湾では、多くの日本の痕跡を破壊したと聞いてます。体中に電気が走ったかの如く、私の心はその文字に釘付けに・・・。
 「皇紀」とは、今の日本でも見かけることはあまりありません。明治維新ののち、日本は平安時代以後で初めて完全な中央集権国家になったことから、初代神武天皇から数えて年号をつけるようになったのです。皇紀2600年は昭和15年を指しているのですが、西暦に対抗したのかもしれませんね。映画「永遠の0」で知られたゼロ戦は、作られた年の皇紀2600年の下二桁の「00」を取って零式艦上戦闘機、略して「ゼロ戦」と呼ばれました。
 ここの境内には、他にも昭和12年、14年といった文字が彫られた灯篭がありました。外国の地で以前は日本の一部だったとはいえ、もうここには存在しない、歴史から過ぎ去った日本の破片というか遺跡を見てしまったようで、感慨深さを覚えます。

日本との深い絆? 

 神社の跡地に残された中国式の祠は「忠順廟」という名前が付けられています。もともと汐止神社には日清戦争での台湾割譲後、台湾を平定するために出征中にマラリアで命を落とした北白川宮能久親王が祀られてあったそうです。
 今ではもちろん廟の中には台湾に縁のある方々が祀られています。
 ところが、この忠順廟のウェブサイトを見てみると、敷地の一角を「北白川宮殿下御遺所」と称して保存に努めていることがわかります。すでに日本の神様はいないと思いきや、実は台湾人にいまだ大切にされていたのだなと……。中華式の廟と日本式の神社が融合しているような不思議な廟でした。
 戦後70年が経つというのに、依然として街の風景にとけ込んでいる日本の痕跡。最近では、戦前の日本統治時代の建造物が台湾各地で見直され、ブームになっているようです。
 「台湾は、かつての日本の植民地」と、多くの日本人は少し後ろめたさを感じる事もあるでしょう……。しかし意外と台湾の人々とその話しをすると、あっけらかんとしている印象を受けます。機会があったら、「日本時代の痕跡」を見に、ぜひ一度足を運んでみてください。
汐止忠順廟
台湾・新北市汐止区公園路10号

ウェブサイト(中国語のみ)
http://zhongshun.tw/

台湾

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