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「親日国・アゼルバイジャンの魅力(3)」【アゼルバイジャンを行く/16】


2016年5月25日

「親日国・アゼルバイジャンの魅力(3)」【アゼルバイジャンを行く/16】
「世界で最も親日な国はアゼルバイジャン」と信じてやまないヤシャール・アゼルバイジャン言語大学日本センター所長に、同国の魅力そして「現地の人々が考える日本人像」についてお話を伺いました。その3回目です。
(承前)
1回目はこちら
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Q. 先生はとても上手に日本語をお話になりますね。どうして日本語を学ばれたのか、きっかけを教えてください。

ヤシャール 私は1996年、初めて外国を旅行する機会を得ました。どこへ行こうかと悩んだのですが、その中で子どもの時から興味を持っていて、いろいろな話しを聞いていた「珍しい国、日本」へ行くことにしたんです。当初は2週間の予定で訪問したのですが、日本が好きになって結局4年ほど日本に住みました。当時、アゼルバイジャンは独立したばかりでしたから、文化や教育、経済などさまざまな分野について日本からたくさん学ぶ必要があると考えました。日本にいる間、常に日本人の優しい心をいつも感じていました。
滞在しているうちに私は、日本とアゼルバイジャンとの関係が希薄なこと、そして日本人の間にはアゼルバイジャンについての知識ほとんどないことは残念だと感じ、仕事をしながら日本語も学び始めました。ある程度日本語が話せるようになった2000年、アゼルバイジャンへ帰りました。帰国後、日本と関係のある仕事を探したところ、ちょうどバクー国立大学でこの年に日本語学科が開設されたので、私はそこで日本語の教師として教え始めました。


Q. ヤシャール先生の現在の活動について教えて頂けますか? 教え子のみなさんが日本と関係のあるお仕事をなさっているとも伺っています。

ヤシャール 私は(2016年春)現在、アゼルバイジャン言語大学で日本語の教師として働いています。この大学に日本語学部が開設されたのは2011年9月でした。私は日本語だけでなく、日本文学も教えています。日本語学部を開設した理由は、アゼルバイジャンで日本語を学びたい人が多いからです。この学科では毎年、10人の新入生を迎えており、現在は全部で35人の学生が勉強しています。また、日本に現在4人が留学中で日本語や日本の文学、文化などを学んでいます。2016年は学生7人が留学する予定です。
これまでに17人が卒業しました。卒業生は地元にある日本企業に勤めたりするなど、ほとんどが日本語と関係のある仕事をしています。日本へ行き、さらに研究を続けている卒業生もいますよ。
2011年には日本センターが新たに開設されました。私はいまセンターの所長も兼任しています。センターの主な活動は日本や日本文化についての情報をより多くのアゼルバイジャン人に知ってもらうことです。そのためにさまざまなイベントを行ったり、ミニ図書館を作ったりする一方、日本にある多くの教育機関にご協力いただいていますし、科学的なセミナーも開催しています。日本センターでは、社会人向けの日本語コースも開講しており、現在25人ほどの学生はここで学んでいます。
イブラヒモフ・ヤシャール(Yashar Ibrahimov)先生プロフィール
1968年4月、アゼルバイジャンAgdash出身。1985年、バクー国立大学を卒業。
2000年からバクー国立大学で日本語教師として赴任。現在は、アゼルバイジャン言語大学日本語学部長、日本センター長の職にある。ドイツ語を教えている夫人、男の子2人との4人暮らし。

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